「なぎさと歩く 水戸藩ものがたり」は、水戸の海とアウトドアが大好きななぎさが、郷土史にくわしいミトじいさんに教わりながら、水戸藩の歴史の舞台を1か所ずつ歩く連載です。第3回の舞台は、水戸藩の政庁が置かれた水戸城(みとじょう)。
JR水戸駅の北口を出てすぐ、第1回でたずねた弘道館のあたり一帯が、じつは城跡です。ところがこの城、立派な天守閣が見当たりません。今回のテーマは「天守がないのに、どうやって守ったの?」。その答えをたどると、石垣ではなく土と堀でつくられた、頭のいい城の正体が見えてきます。
天守がないお城?
なぎさ
ミトじいさん、今日は水戸城ですね! お城ってことは、あの天守閣……天守が見られるんですか?
ミトじいさん
それがな、水戸城には天守がないんだ。
なぎさ
えっ!? 徳川御三家の立派なお城なのに、天守がない!? お殿様、建てるお金がなかったとか……?
ミトじいさん
はは、そうじゃない。ちゃんと理由があってな。それに、天守がなくても、この城はしっかり守れる城だったんだ。今日はその「天守のない城」のからくりを見ていこう。
水戸城とは|御三家の城に天守がなかった理由
なぎさ
そもそも水戸城って、誰のお城だったんですか?
ミトじいさん
徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の居城だ。水戸藩の政庁——今でいう県庁みたいなもの——もここに置かれていた。藩の心臓部だな。
なぎさ
その心臓部に、天守がなかった……。本当にお金の問題じゃないんですか?
ミトじいさん
天守の代わりにな、「御三階櫓(ごさんがいやぐら)」って三重五階の立派な櫓が建っていたんだ。見た目はちょっとした天守みたいなものさ。ただ残念なことに、昭和20年——1945年——8月2日の水戸空襲で焼けてしまってな。今はもう残っていない。だから「ずっと天守がなかった」というより、「天守の代わりの櫓があったが、戦争で失われた」が正しいんだよ。
なぎさ
戦争で……。そうだったんですね。お殿様の時代には、ちゃんと立派な建物があったんだ。
石垣じゃなく「土と堀」で守る城
なぎさ
でも、建物だけじゃお城は守れませんよね? 水戸城って、どうやって敵から守ってたんですか?
ミトじいさん
そこが水戸城のいちばんおもしれーところだ。よくある城は、立派な石垣を積んで守るだろう。だが水戸城は、石垣をほとんど使っていない。代わりに、土を高く盛った「土塁(どるい)」と、水のない「空堀(からぼり)」で守ったんだ。台地の上に郭(くるわ)を一列に並べた「連郭式平山城(れんかくしきひらやまじろ)」で、郭と郭のあいだを深い堀でばっさり断ち切っている。
なぎさ
石垣のかわりに、土と堀! でも土って、石より弱そうな気が……。
ミトじいさん
それがな、水戸の台地はもともと高低差のある地形でな。そこを巨大な堀で断ち切ると、攻める側からすれば、まず深い谷を越えなきゃならん。水戸城の土塁と空堀は全国でも屈指の規模だ。石を積まなくても、地形そのものを武器にした、頭のいい城なんだよ。
よみがえった大手門と二の丸角櫓
なぎさ
今は何が見られるんですか? 焼けちゃったんですよね……。
ミトじいさん
いやいや、近年すごいものが戻ってきたんだ。城の正門だった「大手門(おおてもん)」が、令和2年——2020年——2月に、天保年間の姿で木造復元された。高さ約13メートル、幅約17メートルって巨大な櫓門でな、土塁に取り付く門としては国内屈指の規模だ。見上げると、ほんとに迫力があるぞ。さらに2021年には「二の丸角櫓(にのまるすみやぐら)」も復元されて、一般公開が始まった。
なぎさ
復元された門、見てみたいです! 大手門ってどこにあるんですか?
ミトじいさん
弘道館のすぐそばだ。第1回で行った弘道館は、実はこの水戸城の三の丸の中にあったんだよ。門をくぐって土塁の道を歩くと、ここが城だったことが体でわかる。車は門のところを通れないから、歩いてゆっくり見上げるのが正解だな。
城跡が「学校の町」になった
なぎさ
言われてみれば、このあたり学校が多いですね。
ミトじいさん
よく気づいた。水戸城の跡地はな、今は学校がぎっしり建っているんだ。水戸一高をはじめ、中学校や小学校、幼稚園まである。本丸や二の丸があった場所が、そのまま「学びの場」になっているんだな。
なぎさ
お城の跡が、学校に! 弘道館があった町だから……なんだか、つながってますね。
ミトじいさん
そういうことだ。三の丸には弘道館が今も残っている。学問を大事にした水戸藩らしく、城跡が教育の町になった。石垣のない地味な城に見えるかもしれんが、土塁と堀の城だと知って歩くと、駅前の坂道や道路そのものが城の備えだったことが見えてくる。点じゃなく線で歩くのが、水戸城の楽しみ方だぞ。
アクセス・拝観メモ
水戸城大手門は、JR水戸駅北口から徒歩約10分。第1回の弘道館からはすぐ近くで、続けて歩けます。大手門は門前から自由に見上げられますが、車両は通行できないので徒歩で向かいましょう。あわせて寄りたいのが「水戸城跡二の丸展示館」。日本遺産「近世日本の教育遺産群—学ぶ心・礼節の本源—」をテーマにした展示で、住所は水戸市三の丸2-9-22、開館は9:00〜16:30、入館無料、休館日は12月29日〜1月3日です。大手門から徒歩約3分。近くには復元された二の丸角櫓もあります。周辺は学校や公共施設が多いので、通学時間帯の見学や写真撮影は通行のじゃまにならないよう配慮を。最新の公開状況は公式サイトで確認してください。さらにくわしくは、水戸城大手門・二の丸展示館ガイドもどうぞ。
おすすめの歩く順番は、第1回の弘道館 →(すぐ隣の)大手門 → 二の丸展示館・二の丸角櫓。すべて駅北口から徒歩圏で、無理なく一周できます。土塁と空堀を意識しながら歩くと、ただの坂道や歩道だと思っていた場所が、じつは城の防御だったことに気づけますよ。
次回は「幕末の大砲工場」へ
なぎさ
天守がなくても、土と堀と地形でしっかり守る……。水戸城、見た目より全然すごいお城だったんですね!
ミトじいさん
わかってきたじゃないか。さて、ここまでは水戸の街なかを歩いてきたが、次はぐっと海の近く——ひたちなかの那珂湊(なかみなと)へ出るぞ。幕末、水戸藩がそこで「大砲」を作ろうとした跡が残ってるんだ。
なぎさ
大砲!? お庭や学校の話から、いきなり物騒になってきました……気になります!
次回・第4回は、ひたちなか市の「那珂湊反射炉」へ。水戸藩がなぜ幕末に大砲を作ろうとしたのか、海防(かいぼう)の物語にせまります。(近日公開)
連載の全体像は、親記事「水戸藩の歴史まとめ|弘道館・偕楽園・水戸城から幕末水戸の物語をたどる」からどうぞ。第1回・弘道館は「日本一大きな藩校で、水戸の人は何を学んでた?」、第2回・偕楽園は「「日本三名園」なのに、昔はタダで入れた?」で読めます。