「なぎさと歩く 水戸藩ものがたり」は、水戸の海とアウトドアが大好きななぎさが、郷土史にくわしいミトじいさんに教わりながら、水戸藩の歴史の舞台を1か所ずつ歩く連載です。第1回の舞台は、JR水戸駅北口から歩いてすぐ、三の丸にある弘道館(こうどうかん)。
「藩校」と聞くと、子どもが読み書きを習った寺子屋のようなものを想像するかもしれません。でも弘道館は、そんなイメージとはまるで違う、広さも中身もけた違いの場所でした。今回のテーマは「日本一大きな藩校で、水戸の人は何を学んだのか」、そして幕末の日本を動かした「水戸学」のお話です。
寺子屋とはケタが違う?
なぎさ
ミトじいさん、弘道館って「水戸の昔の学校」ってことですよね? 寺子屋みたいな感じですか?
ミトじいさん
ははっ、そう思うわな。だが弘道館は寺子屋とはケタが違うぞ。敷地はおよそ10万5千平方メートル——東京ドーム2個分以上だ。これでも当時、藩校としては全国でいちばん大きかったんだよ。
なぎさ
東京ドーム2個分の学校!? そんなに広くて、いったい何を勉強してたんですか?
ミトじいさん
そこがおもしれーところでな。読み書きや儒学はもちろん、武術に医学、薬学、天文、数学……と、文系も理系も武芸もぜんぶやる「総合大学」みたいな場所だったんだ。九代藩主の徳川斉昭(なりあき)公が、天保12年——1841年だな——に開いた。「文武不岐(ぶんぶふき)」、学問と武芸は分けられない、という考えが根っこにあってな。
なぎさ
勉強も運動も全部やる! 文武両道どころじゃないですね…! でも、どうして水戸藩はそんなにすごい学校を作ったんですか?
ミトじいさん
それを語るには「水戸学」の話をせにゃならん。知ってるか? ここで磨かれた考え方が、のちに日本中をひっくり返すことになるんだ。
弘道館とは|全国最大の「江戸時代の総合大学」
なぎさ
さっき1841年に斉昭さんが開いた、って言ってましたけど、いきなり完成したんですか?
ミトじいさん
いや、二段がまえでな。まず天保12年——1841年——に仮開館して、十数年かけて整え、安政4年(1857年)に本開館した。じっくり作り込んだ学校なんだ。
なぎさ
そんなに時間をかけて…! 学校としての「理念」みたいなものもあったんですか?
ミトじいさん
あるとも。建学の精神を記した「弘道館記(こうどうかんき)」って文章があってな。斉昭公の右腕で、水戸学者の藤田東湖(ふじたとうこ)が草案を練った。柱は二つ。神道と儒学をひとつにとらえる「神儒一致」と、学問と武芸を切り離さない「文武不岐(ぶんぶふき)」だ。さっき言った文系も理系も武芸も全部やる、ってのは、この理念から来てるんだよ。
なぎさ
なるほど、ただ広いだけじゃなくて、ちゃんと芯がある学校なんですね……!
水戸学とは|幕末の日本を動かした学問
なぎさ
さっきから出てくる「水戸学」って、結局どういう学問なんですか?
ミトじいさん
ひと言でいえば、水戸で育った独自の学問だ。始まりは二代藩主・徳川光圀公——そう、水戸黄門さまだ——が始めた『大日本史』っていう歴史書づくりにさかのぼる。日本の歴史を一から調べて書く、二百年以上かかった大事業でな。その過程で「日本とは何か」を深く考える学問が育った。光圀公の時代を前期、斉昭公の時代を後期と呼ぶんだ。
なぎさ
歴史を調べているうちに、学問になっちゃったんですね。でも、それがどうして幕末を動かすことに……?
ミトじいさん
後期水戸学ではな、藤田幽谷・東湖の親子や、会沢正志斎(あいざわせいしさい)って学者が、「天皇を尊び、外国の脅威に備えよ」という尊王攘夷(そんのうじょうい)の考えを理論にまとめあげた。会沢が書いた『新論』って本は、幕末の志士たちのバイブルみたいに読まれてな。あの吉田松陰も影響を受けた一人だ。
なぎさ
えっ、教科書で見た名前がいきなり…! じゃあ全国から人が学びに来たんですか?
ミトじいさん
そうとも。その考えを慕って、全国から志士たちが水戸を訪ねてきた。つまりこの弘道館は、明治維新へ向かう時代の空気が生まれた場所のひとつなんだ。三の丸のこの学び舎から、日本中へ思想が広がっていったわけだな。
最後の将軍・徳川慶喜が学び、謹慎した場所
なぎさ
そういえば、さっき「最後の将軍」って言ってましたよね。それって……
ミトじいさん
徳川慶喜(よしのぶ)公だ。斉昭公の子でな、幼いころにこの弘道館で学んでいる。
なぎさ
えっ、最後の将軍さまも、ここの卒業生なんですか!?
ミトじいさん
そういうことになるな。しかも話はそれで終わらん。慶応3年——1867年——の大政奉還で政権を朝廷に返したあと、慶喜公は江戸を離れて水戸へ戻り、弘道館の「至善堂(しぜんどう)」って部屋で謹慎の日々を送ったんだ。
なぎさ
学び始めた場所で、将軍としてのお務めを終えた……。人生の最初と最後が、同じ建物なんですね。なんだか胸にきます。
今に残る建物|正門・正庁・至善堂
なぎさ
その至善堂って、今も残ってるんですか? さっき戦で焼けた、って言ってましたけど……
ミトじいさん
よく聞いてたな。弘道館の建物の多くは、明治元年——1868年——の「弘道館戦争」って戦いで焼けてしまった。だが正門・正庁・至善堂の三つは焼け残って、今も国の重要文化財として建っている。畳敷きの正庁は、殿様が出てきて試験や儀式をやった中心の建物だ。慶喜公が謹慎した至善堂も見られるぞ。
なぎさ
焼け残った建物が今も見られるなんて、すごい……。見どころは、ほかにもありますか?
ミトじいさん
弘道館はな、栃木の足利学校、岡山の閑谷学校、大分の咸宜園と並んで「近世日本の教育遺産群」って日本遺産にも選ばれている。日本の学びの歴史を語るうえでも大事な場所なんだ。それと、ここは梅の名所でもあってな。初春には園内が梅で埋まる。偕楽園とあわせて、水戸の梅さんぽにもちょうどいいぞ。
アクセス・拝観メモ
弘道館は、JR水戸駅北口から歩いて行ける三の丸エリアにあります。水戸城大手門からは徒歩約1分と近く、駅前の歴史さんぽにそのまま組み込めます。住所は水戸市三の丸1-6-29。開館時間は2月20日〜9月30日が9:00〜17:00、10月1日〜2月19日が9:00〜16:30で、休館日は12月29日〜31日。入館料は大人420円、小中学生210円、70歳以上のシルバー210円です。車の場合は常磐自動車道・水戸ICが最寄りで、三の丸エリアに駐車場があります。料金や開館時間は変わることがあるので、出かける前に公式サイトで最新情報を確認してください。基本情報や行き方をさらにくわしく知りたいときは、弘道館ガイドもどうぞ。
歩く順番のおすすめは、まず弘道館で水戸藩の「学び」の文脈を入れてから、すぐ隣の水戸城大手門・二の丸エリアへ。そのまま千波湖方面へ下って偕楽園・常磐神社まで足をのばすと、斉昭が「学ぶ場(弘道館)」と「休む場(偕楽園)」をセットでつくった意味が、歩きながら腑に落ちます。点ではなく線でたどると、駅前の地形そのものが城下町だったことも見えてきますよ。
次回は「弘道館の相棒」へ
なぎさ
学校なのに、最後の将軍さまの人生の節目の場所でもあるなんて…。水戸藩の物語って、ほんとに一本につながってるんですね!
ミトじいさん
だろう? 次はな、その斉昭公が弘道館とセットでつくったもうひとつの場所——偕楽園へ行こう。「張りつめて学んだら、ゆるめて休む」。弘道館の相棒みたいな庭だ。
次回・第2回は、日本三名園のひとつ「偕楽園」へ。「名園なのに、昔は領民もタダで入れた?」という話から、斉昭の庭づくりの思想にせまります。(近日公開)
連載の全体像は、親記事「水戸藩の歴史まとめ|弘道館・偕楽園・水戸城から幕末水戸の物語をたどる」からどうぞ。