水戸藩の歴史まとめ|弘道館・偕楽園・水戸城から幕末水戸の物語をたどる
観光・レジャー 📍 水戸市 📅 2026年6月18日 05:30

水戸藩の歴史まとめ|弘道館・偕楽園・水戸城から幕末水戸の物語をたどる

偕楽園の梅、弘道館、水戸黄門——。水戸という街は「なんとなく歴史がありそう」とは思われていても、その歴史がひとつの物語としてつながっていることは、案外知られていません。徳川御三家のひとつ・水戸徳川家がこの地を治め、二代・徳川光圀(水戸黄門)が歴史書づくりを、九代・徳川斉昭(烈公)が藩校と庭園づくりを進め、その子が最後の将軍・徳川慶喜になった——水戸の名所は、すべてこの一本の流れの上に立っています。

この記事では、水戸藩の歴史をできるだけわかりやすく整理しながら、連載「なぎさと歩く 水戸藩ものがたり」の各回への入口をまとめます。まず全体像をつかんでから各話を読むと、街歩きがぐっと立体的になります。聞き役はなぎさ、案内役は水戸の郷土史にくわしいミトじいさんです。

水戸藩ものがたりに出会う

なぎさ ミトじいさん、水戸って偕楽園とか弘道館とか水戸黄門とか、有名なものがいっぱいありますよね。でもこれって、それぞれ別々のものなんですか?
ミトじいさん おもしれーところに気づいたな。実はぜんぶ、ひとつの線でつながってるんだよ。水戸藩ってのは徳川御三家——尾張・紀州・水戸——のひとつでな、将軍家にいちばん近い親戚みたいな家だ。その二代目が、あの黄門さまこと徳川光圀公。九代目の徳川斉昭公が弘道館と偕楽園をつくり、その息子が最後の将軍・慶喜公になった。水戸の名所は、この徳川の家の物語の「あと」なんだな。
なぎさ えっ、水戸黄門も偕楽園も最後の将軍も、ぜんぶ一本の線でつながってるんですか!? それを知ってから歩いたら、見え方が全然ちがいそう…!
ミトじいさん そういうことだ。弘道館、偕楽園、水戸城、那珂湊の反射炉、常磐神社——歩いてまわれる範囲に、水戸藩の物語がぎゅっと詰まっている。順番に見ていこうか。

この記事でわかること

水戸藩と徳川御三家・水戸徳川家の関係/水戸黄門(徳川光圀)と烈公(徳川斉昭)がしたこと/弘道館・偕楽園・水戸城・那珂湊反射炉・常磐神社それぞれの役割/幕末水戸を動かした「水戸学」とは/水戸の歴史さんぽの歩き方。そして連載「なぎさと歩く 水戸藩ものがたり」全5回への入口です。
なぎさ「まず全体像を知ってから各回を読むと、わかりやすそう!」

水戸徳川家と「水戸黄門」——水戸の物語のはじまり

水戸藩は、徳川家康の十一男・頼房を初代藩主として始まった、徳川御三家のひとつです。御三家とは、尾張・紀州・水戸の徳川家のことで、将軍家を支える特別な家柄。なかでも水戸家は、藩主が江戸に常駐したことから「天下の副将軍」とも呼ばれました(正式な役職ではありません)。

二代藩主・徳川光圀(みつくに)こそ、テレビでおなじみの「水戸黄門」その人です。光圀は日本の歴史を一から編さんする一大事業『大日本史』を始めました。この事業は二百数十年かけて続けられ、その過程で生まれた学問が、のちに幕末の日本を大きく動かすことになります。それが「水戸学」です。

弘道館|日本最大の藩校で、水戸の人は何を学んだ?

九代藩主・徳川斉昭(なりあき/烈公)が天保12年(1841年)に開いた弘道館は、日本最大規模の藩校。儒学から医学、天文、武術まで学ぶ「江戸時代の総合大学」とも言われ、ここで磨かれた水戸学の尊王思想は、幕末の志士たちに大きな影響を与えました。最後の将軍・徳川慶喜も幼少期にここで学び、大政奉還ののちにはこの弘道館で謹慎生活を送っています。正門・正庁・至善堂は国の重要文化財。水戸駅北口から歩いて行ける、水戸の歴史さんぽの起点です。

→ くわしくは連載第1回(弘道館)で。開館時間・入館料・行き方は 弘道館ガイド にまとめています。

偕楽園|「日本三名園」なのに、領民にも開かれていた庭

弘道館をつくった斉昭は、その翌年の天保13年(1842年)、偕楽園を開きました。金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園のひとつです。「偕楽園」という名前には、領内の民と偕(とも)に楽しむ庭にしたいという斉昭の想いが込められています。大名の庭でありながら領民にも開かれた庭、という点が、この庭の根っこにある考え方です。弘道館で張りつめて学び、偕楽園で心身をゆるめる——斉昭は「一張一弛(いっちょういっし)」、張りと緩みの対の場として、ふたつをセットでつくりました。約100品種3,000本の梅と、斉昭が自ら設計したと伝わる好文亭が見どころです。

→ くわしくは連載第2回(近日公開)で。梅の見頃・入園料・好文亭の料金は 偕楽園の見どころガイド へ。

水戸城|天守がない城? 土塁と門の城下町

水戸藩の政治の中心だった水戸城には、いわゆる立派な天守がありません。石垣ではなく土塁と堀で守った「土造りの城」だからです。城跡は今、学校や官庁、道路に姿を変えていますが、近年復元された大手門や二の丸角櫓が、城下町の輪郭を今に伝えています。大手門は水戸城の正門だった格式ある櫓門で、弘道館からは徒歩約1分。石垣の城を想像して行くと地味に見えるかもしれませんが、土塁と堀の城だと知って歩くと、駅前の地形そのものが城だったことが見えてきます。

→ くわしくは連載第3回(近日公開)で。大手門・二の丸展示館の歩き方は 水戸城大手門・二の丸展示館ガイド へ。

那珂湊反射炉|水戸藩が幕末に大砲を作ろうとした理由

幕末、外国船が日本の近海に現れるようになると、海に面した水戸藩は海防——海からの守り——を強く意識するようになります。そこで斉昭の時代の水戸藩が、鉄製の大砲を鋳造しようとして那珂湊(現・ひたちなか市)に築いたのが反射炉です。オランダの技術書や、先行して反射炉を築いた諸藩に学んで建設されたと伝わります。現在は復元された反射炉跡を、無料で見学できます。海鮮で知られる那珂湊が、じつは水戸藩の最先端技術の現場でもあった——そんな歴史が見えてくる史跡です。

→ くわしくは連載第4回(近日公開)で。アクセス・見学情報は 那珂湊反射炉跡ガイド へ。

常磐神社・徳川ミュージアム|光圀と斉昭、ふたりを今に伝える

連載の締めくくりは、偕楽園に隣接する常磐(ときわ)神社から。ここは水戸藩を代表するふたり、徳川光圀公(義公)と徳川斉昭公(烈公)を祀る神社です。境内には水戸学にまつわる資料を展示する義烈館もあり、梅や庭園だけでは見えにくい「水戸の精神史」に触れられます。さらに足をのばすなら、水戸徳川家ゆかりの宝物を収蔵・展示する徳川ミュージアムへ。弘道館・偕楽園を見たあとにここを訪れると、水戸藩の物語が一本につながって見えてきます。

→ くわしくは連載第5回・まとめ回(近日公開)で。基本情報は 常磐神社ガイド徳川ミュージアムガイド へ。

水戸・歴史さんぽの歩き方

起点はJR水戸駅北口。弘道館・水戸城大手門・二の丸展示館は駅北口から徒歩圏(おおむね10分前後)にまとまっていて、半日あれば歩いてまわれます。偕楽園・常磐神社は駅からバスで約20分、徳川ミュージアムは少し離れるので車やタクシー・バスが便利です。那珂湊反射炉跡はひたちなか市側にあり、ひたちなか海浜鉄道湊線の那珂湊駅から徒歩約15分。全体をじっくり巡るなら1日みておくと安心です。各スポットの開館時間・料金は年や季節で変わるため、訪れる前に公式サイトで最新情報を確認してください。

連載「なぎさと歩く 水戸藩ものがたり」もくじ

なぎさがミトじいさんに教わりながら、水戸藩の物語の舞台を1か所ずつ歩く連載です。各回は順次公開していきます。

  • 第1回:弘道館|日本一大きな藩校で、水戸の人は何を学んでた?
  • 第2回:偕楽園|「日本三名園」なのに昔はタダで入れた?(近日公開)
  • 第3回:水戸城大手門|天守がない城? 土塁と門の城下町(近日公開)
  • 第4回:那珂湊反射炉|水戸藩が幕末に大砲を作ろうとした理由(近日公開)
  • 第5回:常磐神社・徳川ミュージアム|水戸黄門と斉昭/まとめ回(近日公開)

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この記事を書いたライター

なぎさ
なぎさ 観光・アウトドア担当

大洗の海とひたち海浜公園が好きなライター。浜辺の過ごし方、花の見頃、週末に行きたい景色を、季節の空気ごと届ける。

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